だって、お茶ひとつ熱いものは飲めないんだぜ。
 ・・・・・・気儘之介はつまらなそうに、そんなことを言う。

 子供の頃から、夏はともかく。
 冬はいつも、火鉢に鉄瓶がかかっている。 お湯もいつも、沸いている。 ・・・そんな環境で育った、気儘之介である。
 だからお茶位は、いつも自分で入れていたし、飯も上手に炊けるのだ。
 それはそれは母親から、厳しく躾けられたのだと、気儘之介は言う。
 安毛良(あっけら)藩主・葉々成政(ぱっぱ・なりまさ)候の現在の正室であり、気儘之介の母でもある菜花(なばな)。 
 彼の人はそもそもは、農家の娘であった。 であるが故に、風太郎と知り合う前までは、この男。 母親の実家で暮らしていたのだ。 だから風太郎よりも、野菜には詳しいし、料理だって当然上手いのだ。
 菜花は以前は、藩主殿の世話になるつもりは全くなかったそうな。 親子二人、実家の農家で生涯を送るつもりでいたと言う。
cara1-15.gif ・・・産まれてきた子が男の子だったから、成政候は考える気になったそうだが、しかしながら。 菜花の身分が、余りにも低すぎる。
 世間体もあるから、すぐには側室に入れるという訳にもいかぬと。 ・・・当時は、そんな話だったそうな。
 とりあえずは江戸で暮らさせ、折をみて藩邸に迎える。 ・・・と、そんな沙汰が菜花には不満だった。
 そんな事をしなくていい。 一生百姓でいいから、構ってくれるな。
 そんな経緯が大分に続いて・・・結局。 気儘之介は、十二の年に江戸にやって来た。 
 ・・・だから、当然。 身の回りの世話くらいはもう、立派に出来る年になっていた・・・。

「俺はせめて、お茶くらいは熱いのが飲みたかったんだ・・・」
 ところが。 
 農家の家では、囲炉裏やら釜戸がすぐ側にあった。 そして江戸でも、長く暮らした長屋では台所は、目と鼻の先にあった。
 でも江戸のお屋敷では、そうはいかない。
 調べてみて気儘之介は、ひどく、がっくりとなってしまった。 ・・・台所が、余りにも気儘之介の部屋からは、遥か遠くにあったからだ。
「・・・たしかに。 俺の身の回りの世話をする女は始終側に居るし、不自由はない。 でも俺には、そんな女は要らない。 着替えだって、一人で出来る。いつもいつも側に居られては何だかこう・・・、うっとうしくてなぁ・・・」
 着替えを手伝うという女に、それはいいからと、茶を頼んだのだと言う・・・。 そして、着替えが済んで。 ・・・待てど、暮らせど・・・。
「というのは少し、大げさだが。 ・・・遅いんだよ、茶が来るのが。 今までは自分で入れてたし、頼んだってすぐに来ただろう」
「まぁな」
「お茶くんな、あいよっ、お待ちってな感覚でいた、・・・・・・俺には」
 何か途中で、あったのかと。 ・・・勘繰るくらい待って、やっと、それは来た・・・。
 それを持ってきたのは、 武家娘のしず、という女であった。 

 足付きの茶托に載せたお茶を、両手で持って廊下の真中を歩く
 気儘之介の部屋にやって来ると、襖の向こうで茶を置いて膝をつき、手をついた。
「お茶をお持ちしました」
「入れ」
 しずは襖の取っ手に手を掛け、まずは少し開けてから、今度は通れる程の広さに開けた
 茶托を両手に持って、部屋に入る時には敷居は踏まない。 跨いで渡るのだ。
 中に入ってまずは膝を付き、茶を置いてから襖を静かに閉める
 勿論、両手を使って襖を扱うのは言うまでもない。
 部屋の入り口でもう一度、しずは深々と頭をたれた。
 ちなみに、気儘之介の部屋は広い。
 部屋の入り口からここまでに、五間程(畳を縦にして五枚の距離)ある。
 その距離をしずは、茶を持って名前のとおりにしずしずと(気儘之介にとっては気が遠くなるほどにのろのろと)、やって来た。
 気儘之介とて、武家の作法の心得を全く知らなかった訳ではないのだが。

 武家の娘の作法とは、そうしたものなのである。

 側までやって来るとしずは、膝を付いて茶をまず気儘之介の前に置き、そして再び深々と頭を下げた。
「お茶でございます」
「うむ。  下がってよいぞ」
「はい」

 しずはまた深々とお辞儀をして、摺足で2、3歩下がるとそこで振り返り、しずしずと擦足のまま襖の所まで戻ってゆく。
 そこでもう一度。 気儘之介の方を向いて正座をして、また深々と頭を下げた。

 ・・・まだ、慣れていなかった気儘之介である。 ついこちらまで会釈を返してしまって、後でこってりと怒られた。
「・・・そんな事をなさる必要は、ございません」
 ・・・・・・気儘之介には、いつもお目付け役が付いているのだという。

 そして、しずは。 部屋に入って来た時と逆にこちらから襖を開けて、敷居を跨いだ所でまた深々と頭を下げた。
 そして襖をゆっくりと閉め、この部屋から出て行った…。

cara1-8.gif「俺はなぁ」
 気儘之介は溜息交じりに、海苔を摘んだ。
「いつも自分じゃ熱い茶をいれて飲んでいるだろう。 ・・・癖になってて、つい蓋をあけて吹いちまった」
「うん」
 熱い茶を吹いて、冷ましたということだろう。
「茶碗を持った時に気付けば良かったんだがなぁ…。 習慣という奴でな。 あとでしずは、俺が猫舌なのに熱い茶を出したとかで叱られたそうだ」
「…ふぅん・・・。 気の毒したなぁ・・・。 でもお前は本当に、・・・熱いお茶が好きなのになぁ」
 長い付き合いの風太郎には判るのだが。 藩邸では、そうもいかない。 
「いつも持てない位のあっつい茶碗をよ。 アチアチ言ってフーフーいって飲むのが好きだったのに。 …あの時に、なんか茶碗が持てるなぁ、とは思ったんだよな。 おやとは思ったんだが・・・。 つい、いつもの習慣でやっちまったんだよなぁ・・・」
 熱燗の入った徳利を持って、風太郎もそれは受けあう。
「そうだよなぁ・・・。 いつもそうしていたんだから、それは・・・やっちまうだろうなぁ・・・」
 気儘之介は、お楽から送られてきた漬物に手を付けた。 懐かしい歯応えと味に、舌鼓を打ち・・・そして、苦笑交じりに言った。
「………持てる位の茶碗の・・・つまり、飲み頃って奴よ。 その、お茶をよ。 フーフー吹いて、冷ましちまったらお前。 むせるのに、丁度いい湯加減になるんだよなぁ」
 風太郎は、思わず顔を寄せて。 こっそりと、言った。
「………やったのか」
「やったさぁ。 全部吹いちまって、着ている物は汚すやら、叱られるやら。 ・・・・・・全く、何やらエライ目にあったぜ」
 そうだろうなぁと笑いながら、二人は手を叩いて肴の催促をする。

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