「波和湯。 その連れは一体、何者なのだ」
 ・・・そう言われて、風太郎。
 さり気なく己が身で気儘之介の姿を隠しながら、独り者の頃に通っていた道場の、仲間である・・・と告げた。
 そこは、気儘之介である。 如才なく頭から手拭いを取って、幾之介に丁寧に頭を下げてみせた。
「初めまして。 おら、きままです」
 気儘之介の身なりを一瞥して、幾之介は興味を全くなくしたようだ。
 ・・・いや。 声を掛けた事すら、その声音は悔やんでいるようである。
「・・・・・・波和湯。 いつまでもこのような者と、付き合っていては。 お役には、立てないぞ」
 言い捨てて、幾之介は二人に背を向けて再び歩みだした。

cara1-9gif.gif 気儘之介がその背中に蹴りを入れようとするのを、必死で止めながら。 ・・・風太郎は小さく、笑った。
「仕方がないだろう・・・俺はもともと、昔から悪筆だったんだ。 それを承知で義父上が、俺を婿に入れて下さったんだ。 ・・・まだまだ、俺は半人前以下で、いつも皆に迷惑を、かけているのだ」
「・・・でも。 あぁいう言い方はないぞ、風太郎」
 着物の併せを調えながら、気儘之介は叫ぶ。 ・・・それでも、と風太郎は笑っってみせた。
「・・・あいつは、仲間一番の出世頭だ。 波和湯の家とは違い、江戸のお屋敷内に家すらある。 ・・・火急の折にも屋敷に近い分、俺よりは余程お役に立てるだろうよ。 ・・・今だって。 仕事では俺は、あいつには頭が上がらぬ。 だからあいつの言う事は、もっともな事なのだ」
 風太郎の顔を見ながら、気儘之介は大きな溜息をついてみせた・・・。 それにしても、と呟く。
「……俺はぁ。 せつないぞ、風太郎」

 その時風太郎は歩きながら、またも道の向こうからやって来る人影に気が付いた。 道を左へと譲ろうとして、今度はあちらから声を掛けてきたものだ。
 見ると。 風太郎の上司に当たる、達磨 包盛(だるま・ほうせい)である。
「波和湯。 こんな夜にどうしたのだ。 里絵殿が待っているぞ。 夜遊びなどせんで、早く家へ帰らんか」
 風太郎は先程と同じように、左に道を譲って立礼をしている。

 武士というもの。
 身分制度が、厳しく定められている。
 道の途中でもしも上司に会うような事あらば、必ずこちらは先に道を譲らなくてはならぬ
 上司の方はといえば。 こちらは道を、左へと譲る必要はない。
 そのまま、真直ぐに通り抜けるだけで良い

 良いのだが達磨はそうせず、丸い顔をつるりと撫ぜて、ニコニコと笑った。
 風太郎の亡き義父の将棋敵だったとかでこの男、割に風太郎の面倒をよく見る。
「里絵殿は息災か」
「はぁ…。 相も変りませず」
「先日我が妻が会ったそうだが。 昔と変らずに美しかったそうな」
「はぁ…。 私も、頭が上がりませぬ」
 達磨はちょと黙り、風太郎の耳元にこそっと小声で囁いた。
「子はまだ、・・・出来ぬのかな」
「は……。 なかなかに」
 その言葉で達磨はちょっと、腕を組んで悩んで見せた。
「・・・風太郎。 男は強気で攻めねばならぬぞよ。 特に、女房殿にはな」
 そして何を思ってか、はっは・・・と笑い。 そして気儘之介にも軽く会釈をして、悠々と達磨は二人の前を、通り過ぎた。
cara1-12.gif 勿論、気儘之介が風太郎の為に、道を達磨に譲っていた事は、言うまでもない。
 達磨の、丸い背中が遠くなるのを見計らって・・・。 二人はまた、波和湯家目指して、歩み始めた。
 バツが悪いのか、風太郎はずっと黙っている。 ・・・気儘之介は、何となく。 風太郎に尋ねてみた。
「里絵殿は、悪妻なのか」
「いや」
 風太郎はすぐに反応して、首を振った。
「そうではない。 とても良くできた人だ。 女にしておくのは惜しい程の、・・・その」
 そして困ったように黙り・・・。 そしてまた、首を振った。
「…里絵殿は。 俺などよりは余程、お役目が勤まる程の力を持った女子(おなご)なのだ。 ・・・何故お役目を勤めるのが、男ばかりなのか。 本当に、悔やまれる程に・・・だから。 だから、俺は・・・」 
 ・・・そんな事を言われては、聞いていた気儘之介の方が、困ってしまう。 
「………まぁ…。 お前は、波和湯の家も入って日が浅いから」 
 宥めようとするのを止めて、風太郎は苦笑する。
「いいや…。 本当を言うと、子供どころか」
「………うん」 
「あまりにも里絵殿が素晴らしくてなぁ・・・。 あの人の前に、まるで鳥居でも建っているような…」
「鳥居……」
 何と言えば伝わるのか…。 そう思って風太郎は顔を上げた。
 その時。
 我が家の前に、誰かが立っているのを風太郎は見た。 誰かと考える内にもその人は、こちらへと歩みだす。
「………誰だろう」

 こちらからも歩み寄ったときに、風太郎は、はっとした。
 慌てたように歩んで来た道を左へと譲って片膝を付いた。 そして、膝を付いた方の手の指先を地面に付けて、頭を垂れて控えた
 ・・・無論、面は伏せている。
「何だよ、風太郎。 どうしたん…」
 ・・・だと、言いかけて、気儘之介は不意に、口をつぐんだ。 そして向こうから。 ・・・悠然と、歩み寄ってくる人物と・・・目が、合った。 風太郎は・・・。 ただ、ひたすらに頭(こうべ)を垂れて、控えている。
 ……月明かりの中に浮かんだ、・・・その顔は。
 安毛良藩(あっけら・はん)藩主。
 葉々成政(ぱっぱ・なりまさ)。 ・・・・その人であった。

 ……もしも。
 殿様に、道で会うような事あれば。
 その方に仕える武士は、即座に道を譲って控えなければならない。 そして、殿様が通り過ぎてから。
 ようやくに、その同じ道を歩むことが出来るのだ…。

 ・・・・・・風太郎は、控えている。
「久し振りだな、気儘之介」
 成政候は、息子に向かって声を掛けた。
「う………」
 唸ったきり、声が出ない。
 …未だ父とは。
 呼ばずに済ませていた、気儘之介であった。

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